「空に月が輝く時」・4

2011.09.05(19:54)

「卵と食パンしかないなんて、どういう食生活してるの? 昨夜も本当はコンビニ弁当で済ませようとしたんだろう?」
 昨夜コンビニで買ってきた物は、冷蔵庫に入れた。
 きっと料理の材料をチェックする時に見られたんだろう。
「…そうやって人の食生活に口を出すのは、医者の癖ですか?」
「医者は医者でも、僕は精神科なんだけどね」
 ある意味、凄く納得できる。
 彼なら簡単に人の心を操れるだろうな。
 そう考えていると、不意に彼が振り返って俺を見てにっこり笑った。
 途端に背筋にぞくっと寒気が走る。
「今なんか、とんでもないこと考えていなかった?」
「いえ、別に。あっ、俺風呂に入ってくるので先に食べててください」
 一気に言うと、とっとと風呂場へ駆け込んだ。
 あっ相変わらず変に勘の鋭い人だ…。
 心臓が一瞬、凍るほどの恐怖を味わってしまった。
 寒くなった体を温める為、熱めのシャワーを浴びる。
「でも…」
 よくよく考えてみたら、あの人がフられることなんてあるのだろうか? 
 女心でも平気で弄ぶような彼が?
 …そう言えば婚約破棄の詳しいことは、聞いていなかったな。
 でもあの様子じゃあ、フられたみたいだ。
「珍しいこともあるもんだ」
 鬼のかく乱という言葉があるぐらいだ。
 そういうこともあるんだろう。
 ざまあみろと思う気持ちと、良かったと思う気持ちが心の中でせめぎ合う。
「…俺は何を望んでいるんだ?」
 例え俺が望んだところで、彼が何一つ応えてくれることなんてないと分かっているのに…諦めが悪過ぎる。
 相手は特に、結婚しようと婚約者までいたのに。
「…本当にバカだな」
 苦笑しながら、シャワーの温度を上げた。



 風呂場から出ると、ソファーで彼が座っていた。
「長かったね」
「…まだ食べていなかったんですか?」
「うん。食事は一人じゃ味気ないし」
 ソファーの前のテーブルには、サンドイッチとコーヒーが用意されていた。
 卵焼きをパンにはさんだサンドイッチは、俺の好物だった。
 だから毎朝、食べていたワケだが、改めて彼が作ったと思うと複雑だ。
「相変わらずこのサンドイッチが好きみたいだね」
「食べるの楽ですから。作るのも早いし」
 手軽に食べられるところを気に入っていて、子供の頃から食べていた。
 でもまさか、彼がそれを覚えていたなんて…。
「櫂都さん、今日の仕事は?」
「一応朝から。一緒に出て行っても間に合うよ」
「先に出て行ってもらっても、全然構わないんですけど?」
「…そこまで冷たくしなくても、いいんじゃない?」
 さすがに彼の笑みが固まった。
 けど言う権利は俺にはある。
「この部屋の主なので」
「そうだったね。でも良いじゃないか? 出て行く時一緒でも」
 …確かに、そう強く拒絶することじゃないしな。
 それにこれでもう、彼と会うこともなくなるだろう。
「まあそのぐらいは良いですよ」
「ありがとう」
 その後は二人とも、黙々と朝食を食べ続けた。
「時間に余裕があるんでしたら、シャワーをどうぞ。洗面所には使い捨ての歯ブラシも置きましたから」
「シャワー、借りても良いの?」
「ええ。あと着替えですが、俺の私服を出しておきます。スーツはどうするんですか?」
「病院の方に予備があるから。でも助かるよ。ちゃんと洗濯して返すから」
「―いりません。着終わったら捨ててくださって結構ですから」
 そう言いつつ、俺は彼を風呂場へ押しやった。
「えっ、でも」
「いいんです。…俺はもう二度と、あなたに会いたくないんですから」
 低く呟き、俺はドアを閉めた。
 すぐに背を向け、クローゼットを開く。
 しばらくして、シャワーの音が聞こえ始めた。
 それを聞いて、ほっと一息つく。
「…ちょっと大人気なかったか?」
 未だに彼の前では甘えが出てしまう。
 兄は太陽のように明るく、頼れる存在だ。
 彼は逆に月のように、静かで穏やかだった。
 …いや、そう思っていた。
 彼は例えるなら闇。
 時折、月さえ覆い隠してしまうほどの深い闇だった。
 闇はそれでも太陽に憧れを持っていた。
 自分と違う、熱く輝く太陽を。
 でもどうやっても太陽は輝きを失わず、その歪んだ感情は…太陽の近くにある空へと向かったんだ。
「バッカみてぇ」
 太陽みたいな兄よりも、月のような彼が好きだった。
 一緒にいて落ち着いた。
 共にいて嬉しかった。
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